“相互リンク初期メン”牛島さんとの初対談 (その1)

はじめに

ありの木・Hizuru氏・牛島さん
左から順に、ありの木、Hizuru氏、牛島さん。

ありの木と同時期に開設されたサイト「C--」は、初期の頃から「相互リンク」の関係にありました。当時、両サイトとも「Hot Soup Processor(HSP)」を使ったWindowsアプリケーションの開発・配布がメインで、相互リンク関係になったのも、HSPがきっかけでした。

現在もその関係は継続しており、現在存続する相互リンクの中では、突出して長い歴史を持ちます。今回、両サイトが20周年を迎えたことを記念し、管理人である 牛島(m-ushi)さんと、初めて直接お会いして対談する機会を設けさせていただきました。

福岡空港
前日にHizuru氏と福岡入りしていた。

牛島さんは、現在佐賀市にお住まいです。今回は牛島さんの地元である佐賀駅で待ち合わせとなりました。ありの木と(サイト立ち上げ初期から共同運営者だった親友の)Hizuru氏は前日福岡観光を兼ねて前乗りしており、福岡市内からJRで佐賀へ向かいました。

なお、過去の記事でも触れていますが、ありの木とHizuru氏は、もともと福井市内の同じ小中学校に通っていて、高校までを福井で過ごしました。現在、ありの木は千葉、Hizuru氏は大阪に住んでいます。

佐賀駅

佐賀駅に到着した列車
佐賀駅に到着。

「あの、、牛島さんですか…?」事前に目印だと言われたオリーブグリーンのジャンパーを着た男性が目に入り、早速声を掛けました。サイト開設から20年。まさか相互リンクの相手とこういう形で初対面することになるとは思っていませんでした。

佐賀駅の構内
待ち合わせ場所は、佐賀駅の改札口。

対談の前半は、佐賀駅近くのレストランで。ネット界隈やHSP、ブラウザ界隈の20年を振り返るよもやま話が続きます。後半は、近くのカラオケボックスに場所を移し、持参したPCでお互いの黒歴史を披露し合う品評会となります。

第1章:ご挨拶・出会った当時を振り返る

佐賀って福井に似てるけど…

当日はあいにくの雨模様。駅から徒歩10分ほどのところにある「佐賀牛レストラン 季楽」へ足早に向かいます。

ありの木
佐賀駅は初めて降りましたが、地元の福井に似ています。駅の建物の雰囲気とか、駅前の大通りの感じとか。
Hizuru
福井よりマンションが多いですね。福岡への通勤需要があるんでしょうか。
牛島 (m-ushi)
そうですか!確かに、博多へ通う人は多いと思います。
ありの木
そういう意味だと、駅前の活気は、福井よりありますね。こんなに人が歩いていない。
牛島 (m-ushi)
みんなどこ行くんですか?
ありの木
郊外のショッピングモールが多いですね。駅前は何もないから、地元の人はあまり行かないです。
福井の場合、電車で都会に通うってことが無いので。そこは佐賀と大きく違うところですね。
牛島 (m-ushi)
なるほど。
ありの木
ちなみに、佐賀駅は初めてですが、小6の時に、吉野ヶ里遺跡には来たことがあります。
牛島 (m-ushi)
あー、神埼の!
ありの木
そうですそうです。当時は今ほど整備されていなくて、工事現場みたいな状態でした。今はだいぶきれいになりましたよね。

20年前、「危険人物の巣窟」からスタート

「佐賀牛レストラン 季楽」は牛島さんおすすめの地元の人気店。お昼時で混雑していたので、待合室で30分ほど待ちました。早速、20年を振り返って話が弾みます。

ありの木
さて、ではサイトを立ち上げた頃のお話を聞かせてください。
C--
現在の牛島さんのサイト「C--」。
牛島 (m-ushi)
サイトを始めたのは、大学生の時ですね。
大学に入る前は、Windows 3.1でQuickBasicを使ってプログラムを組んでいました。
とは言っても、それまではパソコンというパソコンは買えなかったので、紙に書いたコードを、部活とかで中学校の電算室に行って打ち込んだりしていました。もちろん当時のコードはもう使えません。
ありの木
なんか時代を感じます。でも、自分も家にパソコンが来る前は、学校のパソコン室でしか使えなかったので、状況はよくわかります。
牛島 (m-ushi)
大学に入ってから、パソコンを買いました。とは言っても、ネットは無かったんですが。
大学は、九州大学の電子情報工学科です。いろいろな授業があったんですが、その中で、授業の一環でホームページを作ってみましょう、というのがあり、大学のサーバが各自に割り当てられました。その時作ったサイトが最初ですね。
ありの木
最初は、大学のサーバだったんですね。
牛島 (m-ushi)
そうです。大学のサーバでやってるのに、かなりヤバい内容のサイトだったんで、大丈夫かなと心配しながらやってました笑
最初のタイトルは「危険人物の巣窟」でした。
ありの木
覚えてます!そういう名前でしたよね。なんかいつの間にか名前変わってて…
牛島 (m-ushi)
覚えてますか!そうその後「Cursed Cattle's Cave」に名前を変えたんです。さらにその後シンプルに「C--」という名前にしました。
時代に逆行して、Netscape Navigatorでも見られるサイトを志向しています。
ありの木

でも今どきのスマホでもちゃんと見られますよね。さっき見ていたら結構見やすかったです。
牛島 (m-ushi)
そこはCSSを学習しました!

「ありの木」の20年前のサイト名は…

ありの木
次に、我々のサイトの話になりますが…。初期のサイトのデータを持ってきたんですよ。
LEMONsoftのサイト
「ありの木」の原型となった「LEMONsoft」のサイト。
牛島 (m-ushi)
おわー、懐かしい懐かしい!覚えてます!
ありの木
えー、覚えてるんですか?
GMSsoftのサイト
20年前のサイト開始時点は「GMSsoft」という名称だった。
ありの木
本当の最初はこれです。
GMSsoftオープン前のページ
「GMSsoft」の初期の頃のサイトデザイン。
牛島 (m-ushi)
えっ、こんな名前だったんですね。LEMONsoft(GMSsoftから改名後のサイト名)の時代しか知らないです…。
ありの木
そうなんです。たぶん本当に初期の頃…。
Hizuru
小学生のころ。
牛島 (m-ushi)
マーキータグだ!
ありの木
うふふふ笑
「GMS」というのはなにかというと、小学生のときに、2人で合作漫画を書いていまして…。
「合作漫画制作委員会」の略でした。
牛島 (m-ushi)
じゃあ、当初と目的が違ってた。
ありの木
そうですね。あ、ただ、サイトはクソゲーを公開するために作ったんで、まあ最初からソフト用でした。
牛島 (m-ushi)
当時から今になるまで想像できなかったですね。
ありの木
こんな長く続くとは思ってなかった。

出会いは、BBS(掲示板)への書き込み

牛島 (m-ushi)
サイトを作ってから、いろんなサイトの掲示板に見境なく書き込んで、相互リンク相手をひたすら探しました。
ありの木
じゃあ、うちのサイトもその一つだったわけですね。どこからたどって来られたのでしょう?
牛島 (m-ushi)
今となっては、もう覚えてないですが、HSP絡みで検索した可能性が高いですね。
キャプチャ
Hot Soup Processor(HSP)の当時のロゴ。
ありの木
あー、なるほど。
牛島 (m-ushi)
HSPのウェブリングとかも登録してたんですよ。
ありの木
懐かしい!
Hizuru
当時、Googleは無かったですよね。今ほど検索の精度も高くなくて。
牛島 (m-ushi)
Googleは無かったですね。ヤフーしか無かった。今のネットサービスのほとんどは、まだ無かったんじゃないですか。
ありの木
ちなみに、当時、我々小学生か中学生だったんですけど、「なんだ、小学生か」みたいな印象とかってありました?
牛島 (m-ushi)
そんな若いのにようやれてるなと思ってましたよ。
ありの木
笑。我々ももう30代で、今の若い子見てると、「そんな若い年でスマホアプリ作っちゃうのか」と思っちゃいますね。
牛島 (m-ushi)
そうそうそう。それはある。
ありの木
牛島さんは、20年に渡ってサイトを運営されていますが、当時加盟していたウェブリングや相互リンクで、今も関係性が続いている方はいらっしゃいますか?
牛島 (m-ushi)
う~ん、大学の同期くらいかな。ネットだけの繋がりで、ここまで長いのはほとんど無いです。
今までいろいろな出会いがあったけど、ほとんどみんな忙しくなってフェードアウトしてしまいました。サイトが無くなってしまったり、残っていても更新してなかったり。

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