足尾銅山 旅行・観光ガイド ブログ

足尾銅山観光・通洞駅の飲食店「さんしょう家」

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足尾銅山の歴史

足尾銅山は、江戸時代に発見され、400年以上に渡って採掘が続けられました。一時日本の銅の40%を産出していたとされます。

足尾町(現在は日光市の一部となっている)は、銅山全盛の大正時代に人口38,000人を超え、栃木県内では、宇都宮市に次ぐ都市となっていました。

わたらせ渓谷鉄道の車両
わたらせ渓谷鉄道 通洞駅に到着。

明治以降、銅山の開発を主導していたのは、古川市兵衛率いる古河鉱業でした。古河鉱業は、古河機械金属と社名を変え、現在も足尾銅山のほとんどの土地を所有しています。

古河鉱業は、足尾銅山で潤沢な資金を得て、古河財閥を形成していきました。古河財閥から生まれた有名企業としては、富士電機と富士通があります。まさに足尾銅山は、日本の近代化において重要な役割を果たしたといえるでしょう。

一方で、足尾銅山では、多くの公害問題が発生したことが知られています。中でも「足尾鉱毒事件」は小学校の教科書にも載っているほど有名です。

現在の足尾銅山

さて、では今の足尾はどうなっているのでしょうか。公害問題が表沙汰になってから、もう120年以上が経過しており、多くの日本人が、足尾鉱毒事件は終わったと思っているかもしれません。しかし、足尾を歩くと、今なお鉱毒の汚染に苦しんでいる無惨な光景を目の当たりにすることになります。

私は、2009年に一度足尾を訪れたことがあり、今回は5年振り2度目の訪問となります。このレポートでは、5年前からの変化にも注目しながら、今の足尾の様子をまとめていきます。

わたらせ渓谷鉄道 通洞(つうどう)駅

足尾へ向かうには、桐生駅や相老駅でわたらせ渓谷鉄道に乗り換えます。桐生~通洞は、約42kmで、乗車時間はおよそ1時間半です。

わたらせ渓谷鉄道は、元々銅山の鉱石を運ぶための路線で、銅山の経営者が出資して敷設されました。その後、国有化され国鉄足尾線となりましたが、銅山の閉山に伴い沿線人口が激減し、国鉄民営化の際に第三セクターへ継承されました。

通洞駅の駅名標
通洞駅は旧足尾町の中心。

通洞駅は、足尾町の中心駅です。人気の観光地である足尾銅山観光も、ここが最寄駅となります。

通洞駅の改札口
通洞駅は木造のレトロな駅舎。
通洞駅の待合スペース
大勢の観光客にも対応できる広い駅舎
通洞駅の切符売場
時間帯によっては駅員が常駐し、切符の販売を行う。
通洞駅の駅舎
駅前にはタクシーが停まっている。

通洞の集落

現在、足尾銅山は閉山し、関連施設は一部を残して廃止されています。多くの施設は取り壊されず廃墟化し、足尾町の各地に点在しています。こうした経緯から、足尾には数多くの廃墟・廃屋があり、村が丸ごと廃村となった地区もいくつかあります。

足尾町の中心地である通洞には、銅山の社宅が建ち並び、一時期社宅だけで1500人を超える居住者がいたそうです。

現在、社宅は姿を消し、ひっそりとした山間の集落になっています。旧足尾町にあたる区域の人口は、今や2,300人台(訪問時点)。銅山が閉山した影響が大きく、この100年で人口は1/10以下になりました。

足尾の観光案内所
駅前にある観光案内センター。

観光の場合、まずは駅から一直線に進んだところにある「観光案内むらおこしセンター」で話を聞くと良いと思います。

町内のマップもあり、飲食店や商店の場所が分かります。昔の足尾の写真が壁に展示されていたりもします。

通洞の駅前風景
駅前には休業している商店も多い。

足尾銅山は、元々本山坑と小滝坑を一直線に結ぶ構造でしたが、その後、T字型に貫通する通洞坑が開坑され、製錬所なども通洞に移ったため、徐々に通洞に集落の中心が形成されていきました。

通洞の商店街
現在の通洞は静かな山間の集落。

一応、コンビニ(ヤマザキですが)もありますが、品揃えはあまり期待しない方がいいかもしれません。最低限の食事は確保できます。

ヤマザキショップ足尾 くらさわ
ヤマザキショップは町内唯一のコンビニ。

通洞の飲食店

足尾の中心街というだけあって、他の駅に比べて飲食店は充実しています。

特産の山椒を使った定食が人気の「さんしょう家」、丼物がメインの「川本」、寿司やカツ丼などがある「植佐」、そして喫茶店「ラポール」では洋食メニューもあります。

さんしょう家

今回は、「さんしょう家」さんに入ってみました。注文したのは、「山椒照焼定食」(900円)。山椒定食は、このほかにも、「唐揚」「チキンカツ」「ソースチキンカツ」があり、いずれも900円でした。また、山椒以外にも、各種フライ定食やうどん・そば、カレー、ナポリタンなど、メニューが豊富です。

さんしょう家
山椒を使った定食が人気の「さんしょう家l。
さんしょう家の店内写真
セルフサービスで料理をカウンターまで取りに行く仕組み。

山椒が足尾の特産品であることは知らなかったのですが、山椒がたっぷり掛かった照り焼きチキンはなかなか美味しかったです。鶏肉が分厚い一枚肉で食べ応えがあり、ふっくら炊かれた白米もよかったです。

繁盛店のようで、調理場に3~4人おばちゃん達がいるのですが、要領が良くないのか、なかなか料理が出て来なかったです。時間に余裕を持って入店しましょう。

さんしょう家
山椒照焼定食を注文した。

足尾銅山観光

足尾銅山観光は、通洞坑の跡地に作られた観光施設です。足尾銅山の閉山が1973年で、銅山観光が1980年開業ですから、閉山直後から跡地利用について協議していたのでしょう。過疎化が進む足尾町において、唯一の集客施設になっています。

銅山観光は、かつて銅山を経営していた古河鉱業(現在の古河機械金属)の関連会社が運営しており、その展示内容は、銅山の明るい側面のみに焦点を当てたものとなっています。

足尾銅山観光
足尾銅山観光の入口。
トロッコのレール
混雑時、トロッコは奥のホームに発着する。

まずは観光トロッコに乗車し、坑内に進入します。さほど長い距離ではありませんが、トロッコは思い切り加速します。この辺りは観光客へのサービスでしょう。

足尾銅山観光 トロッコのホーム
観光トロッコが発着するホーム。
足尾銅山 観光トロッコ
観光トロッコが入線。
入坑するトロッコ
非常に短い区間ながら急加速して入坑する。
足尾銅山観光 坑内
坑内に入ると間もなく減速して停車する。
足尾銅山観光 内部 写真
廃止された坑道を利用した薄暗い通路。

閉山した坑道の跡地利用ということで、内部は非常に興味深いです。ただ、総延長1,200kmにおよぶ坑道のうち、見学できるのはごく一部で、後半は資料館のような建物に通されて、模型を眺めるだけです。

また、前述の通り、銅山の負の部分については、ほぼ言及が無く、ここだけ見て足尾銅山を分かった気になるとちょっと危うい気がします。もちろん、足尾銅山が果たした役割は大きかったのですが。

足尾銅山観光 土産物店
土産店が充実している。

新梨子油力発電所・通洞動力所・通洞変電所

駅前の県道を原向駅方面に歩いていると、県道沿いに廃墟群が姿を現します。普通に幹線道路を歩いていても廃墟に出会うのが足尾の凄いところです。

通洞駅側から見て一番手前にある、大きめのコンクリートの建物は、新梨子油力発電所という施設です。重油を燃料とする発電所で、当時としては国内最高出力だったとのこと。市民病院かと見紛うほど立派な建物です。

足尾 通洞駅の廃墟
県道沿いに建つ溶接工場跡。
足尾銅山 溶接工場跡
緑十字の保安マークが見える。

その奥の建物は通洞動力所といって、削岩機に必要な圧縮空気を作っていたそうです。レンガ造りの美しい建物は、一部を残して激しく倒壊しています。

足尾 通洞 通洞動力所
ここは通洞動力所だったらしい。

通洞動力所の奥にあるのは、通洞変電所です。こちらは、現在も東京電力の現役施設です。中からはブーンという機械音が響いていました。戦前に作られたと思われる建物が、現在も使われているのは凄いですね。

通洞変電所
通洞変電所は現在も稼働している現役施設。

足尾歴史館

足尾歴史館は、鉱山街時代の貴重な物品や写真が展示されている民俗資料館です。銅山観光と違い、人々の生活を起点に銅山の歴史を学ぶことができるようです。

足尾歴史館
NPO法人が運営する足尾歴史館。

歴史館の裏手には、ガソリンカー(坑道で使われた狭軌の内燃機関車)が保管されている広場があり、子どもが乗車して遊べるミニSLもあります。ここには、フォードのエンジンを積んだ機関車など貴重な車両が動態保存されています。

足尾銅山 ガソリンカー
足尾歴史館の広場には、ガソリンカーが展示されている。

なお、歴史館の先には、何やら巨大な円形プールがありますが、ここ一帯には選鉱所があったそうです。

この円形プールは、一般にシックナーと呼ばれる施設で、鉱石を粉砕して薬品の溶液に混ぜ、鉱物成分だけを浮遊させる方法で選鉱が行われていました。

足尾 シックナー
歴史館の裏手にある沈殿池。

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探索日
2014/05/04 - 05

このレポートには、さば柄氏 ・ nokinoshi氏 からご提供いただいた写真が含まれています。

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